東京タワー
良く晴れた空に何故か似合ってしまう。
人工的な建物のはずなのに、これが無いと東京と呼べないような気がした。
今は高いビルが乱立したせいで、東京中から見える事は無くなってしまったが、
それでもふと横を見るといつもそこにある。

東京タワー
photo by GON
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リリー・フランキーの『東京タワー』をようやく読む事が出来た。
色んな人から“この本はいい”って言われ続けていたのだが、僕の頭にはあのどう
しようも無くスケベなリリーさんの顔しか浮かばない。
多分大勢の人がそうなのではないだろうか・・・

この本については、リリーさん家の話だと言う事以外は特に誰かに内容を聞いた
事は無かった。
というより寧ろ楽しみにしていたので、内要については極力尋ねないようにして
いたのだ。
リリーさんといえば、僕の頭の中に浮かぶのはアイドル批評やテレビに写る作家
の人程度にしか知識はなく、テレビに出ていても座っているだけで、たまに「面白い
事をいうオッサンだなぁ」って程度。
そのうち僕はミラノに住み始めたので、文章からも映像からも僕が彼に触れる機会
というのはどんどん減った。

『東京タワー』を読み始めて直ぐに驚いた。
同郷の人なのだ。しかも年齢も近いから、時代背景がダブる。
福岡県にある北九州市の小倉で生まれた。1963年の事だそうだ。
(僕は1965年生まれ)
当時彼らが住んでいた場所は僕が通った高校に程近い場所で、当時は動物園と
遊園地がある所だった。
今はもう動物園は無くなってしまったのだけど・・・
当時は西鉄電車(チンチン電車)の車庫があったり、周辺は歯科大をはじめとした
学園都市で、街の中心からは外れていたが結構賑やかな場所だったと覚えてる。
小倉は生まれ育った僕が言うのも何だか変だが、相当変わった街だった。

江戸の昔、旧小倉藩は小笠原氏を藩主に置く徳川の譜代大名で、九州や山口の
外様大名の監視を目的として置かれていた藩である。
したがって、同じ福岡といえども博多などがある黒田氏の統治した福岡市とは仲が
悪いし、何より違うのはその訛りや方言だろう。
よく福岡っていうと武田鉄也さんなんかが使う博多弁を想像される方が多いだろう。
しかし、小倉の言葉は違うのだ。
『東京タワー』に書かれている言葉はまさに僕の良く知る小倉や筑豊の言葉で、
博多弁とはまったく違う言葉なのだ。
それが懐かしく、そして嬉しかった。
公の場にさらされる地元の言葉が嬉しかった。
そして小倉を代表するもう一つの顔。
ヤクザが肩で風切り、大手を振って闊歩する街。
飲み屋の数が東京の銀座並にある街。(人口に対して店の数が多すぎる)
公営ギャンブル場がいくつもある街。
風俗やラブホが多い街。(リリーさんのオヤジさんが造ってたとは知らなかったけど)
多分(これはあくまで僕の勝手な想像)住人は堅気より筋者が多い街。(苦笑)
(僕は子供のころ銭湯に行くのが好きで、そこではよく背中にお絵書きした人が
 いっぱいだったし、海水浴は長袖の下着を着たオッサンばっかだった)
今でこそ関西や広島が有名だが、嘗てヤクザ映画と言えば鶴田浩二や藤純子と
相場は決まっていて、任侠映画の舞台といえば北九州市や筑豊の事だった。
(僕の通った中学校の直ぐとなりは全国指定広域暴力団の有名な会派の総本部が
 あって、いつも機動隊が常駐していた。)
だからかは知らないが、ヤンキーって普通に周りに沢山いたし、それがこの国
なのだと勝手に思い込んでいた。
それからすると僕やリリーさんなんて、本当に素直にスクスクと育ったものだ。
(フフフ、あははは・・・爆)
リリーさんは小さい頃しか小倉に住んでなかった(お父さんはずっと住んでたみたい)
ようだが、僕は高校を卒業する18年間(5歳の頃1年くらい東京に住んでた以外)を
小倉で過ごした。
その頃僕は世間知らずだったし、海外に行った事も無かった。
だから海外に興味もなかったし、日本だけで(いや小倉で)十分だと思っていた。
それがやがて親とはなれて暮らすようになり、仕事で海外に出かけるようになって
いまではミラノで暮らすようになってしまった。
状況や感情の変化とは摩訶不思議なものだ。

さて、話を『東京タワー』に戻すと・・・
リリーさんとお母さん(文中ではオカン)とは一度大病の後に東京で一緒に生活
するようになったようで、それって物凄く親孝行な事だと僕は思った。
僕には到底できないことだし、やりたくてももうできないことだから羨ましい。
もちろん住みなれた土地を離れて新しい生活をしなくてはならなかった“オカン”は
大変だったと思うけど、リリーさんの“オカン”はそれを楽しんでいたようである。
子供が幸せに健康で過ごせる事が一番大切だと心から思っていたから、住む所は
拘らないという事なのだろう。
僕の母は僕が19の時にリリーさんの“オカン”が最後にかかった病気と同じ病気で
亡くなり今はもうこの世にいない。
この場面を読んだ時心が苦しかった。
自分の母親が病院のベットの上でどんどんやせ細ってゆくさまは、経験した人にしか
その心情を理解することはできないだろう。
唯一よかたのは見送ることができた事だろうか・・・
本当はもっと親孝行できたはずなのに、僕は何もできなかった後悔はまだある。
沢山の愛情を注いでくれた母に対して何もする事は出来なかった想いが噴き出して
どんどんリリーさんの気持ちとオーバーラップするような気分になっていった。
もちろんこれは僕の勝手な受け取り方だから本当に同じ想いだったかはわからない。
この本に共感する人が多いというのは、きっと同じような想いをしてきた人達が多い
からなのだと感じた。
「親孝行したい時はすでに親は無し」諺って当たってるだけにキツイ響きだ。
ただ僕は本当にこの本に出会えてよかったと心から思える。
年末の特番で今年の彼の願い事が「夏にエッチなファッションが女子の間で流行る事」
だったとしても・・・(笑)

さて、これからミラノに帰ります。
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by illy23 | 2006-01-07 08:39 | 考える事
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